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梅屋応援オリジナル小説

わたしと梅屋と思い出と。

~I know heartful stories.~

 

プロローグ
<結婚前夜のしゅうくりぃむ>(愛乃)

 荷物の整理を済ませ、殺風景になった自室を眺める。
「この部屋ともお別れかぁ……」
 そう呟くと同時にじわじわと淋しさがこみ上げてくる。
「いいえ、別にお別れではないですよ。ここはいつまで経ってもアナタの部屋よ」
 不意に後ろから声が聞こえた。
「あ、お母さん」
 母はゆっくりとわたしの部屋に入ってくると、壁や床を見回した。
「こうして見ると至る所にアナタが残した思い出の証が残っていますね。ほら、ここはアナタが3歳の時にクレヨンで落書きしたのを必死で消した跡です。なかなか消えなくて苦労したんですよ」
 母は昔を思い出しながら優しく微笑んでいる。
「そんなこともあったような……。確かペンギン描いたんだよね」
 確かに良く見ると様々なところに懐かしい思い出が残っている。
「一段落したようですし、一息入れましょうか? 実はデザートを買ってあるんですよ」
 そう言って部屋を出た母の後に続き、リビングに向かう。
「すぐ準備しますから少し待っていてくださいね」
 母はそう言うと、キッチンに向かい、コーヒーを淹れる準備を始めた。
 ソファに座り、母の動作を目で追う。至って普通の母親だと思う。だけどうちの母はちょっと凄いのだ。
 リビングの奥の棚に目をやると、一枚の写真が飾られている。そこには昔の母と、母の親友の女性が肩を並べて映っている。その隣には一際存在感を放つ金色に輝くメダルが飾られてある。オリンピックの金メダルだ。
 母は元フィギュアスケートの選手で、オリンピックの金メダリストなのだ。金メダリストの母を持つなんてことはそうそう無いだろう。だからと言って、わたしにとってはごく普通の母親だし、普段のおっとりしている雰囲気からはスポーツ選手だということすら疑わしく思ってしまうほどだ。なんでも昔は銀盤の妖精と呼ばれていたとか……。
 ちなみに現在の母は、選手としてはすでに引退していて、地元のスケート教室でインストラクターをしている。
 金メダルを見つめながらそんなことを考えていると、キッチンから母がこちらにやって来た。
「お待たせしました、愛乃(アイノ)」
 わたしの母はフィンランド人と日本人のハーフで、父は日本人。その二人から生まれた子供、雪平愛乃(ゆきひらあいの)、それがわたしだ。なのでわたしの身体の中には理論上は25%フィンランド人の血が流れている。いわゆるクォーターというやつだ。そのため、髪の色はぱっと見はブラウンっぽく見えるが、近くで見ると、ブロンドと黒のメッシュのような感じだ。さらに瞳の色は、黒とブルーのオッドアイだ。そこに話す言語が主に日本語なものだから良く周りからは不思議な目で見られたものだ。因みにオッドアイは10万人に1人の割合で生まれてくるのだとか……。
 わたしの名前、愛乃というのはフィンランド語のAino(アイノ)が由来で、「唯一の」という意味があるらしく、両親曰く、「私達にとって唯一無二の存在」という意味を込めて付けてくれたらしい。
「さ、冷めないうちにいただきましょう」
 母はわたしの向かいに座ると、湯気の立ち昇るコーヒーをテーブルの上に置いた。
 フィンランド人はコーヒーを良く飲むことが世界的に知られているようで、労働法では仕事の合間にコーヒー休憩を必ず設けるように定められているらしい。4~6時間の労働ならコーヒー休憩1回、6時間以上の労働ならコーヒー休憩2回という風に。
 とは言え、わたしははっきり言ってフィンランドのことについてはあまり詳しくないのですべて母の受け売りなのだが……。実際23年間生きてきてフィンランドに行ったのは数回程度だし、フィンランド語だってほとんど喋れない。日本人と言っても問題ないレベルかもしれない。
 ひとくちコーヒーを口に含む。薄過ぎず、濃過ぎず、わたし好みの味。どんな店で飲むコーヒーより母の淹れてくれたコーヒーがわたしは大好きだ。
「うん、美味しい。やっぱりお母さんのコーヒーが一番ね」
「フフ、ありがとう。長い付き合いですから愛乃の好みはお見通しです」
 何故か誇らしげに胸を張る母……。そしてさらに言葉を続ける。
「ですが、これからはこのコーヒーを淹れることもなくなると思うと少し淋しいですね」
 先程までの母の笑顔が少し曇る……。
 実はわたしは明日、23年住み慣れたこの家を出て行くのだ。もちろん、出て行くといっても家出するわけではなく、どちらかと言うと喜ばしいことなのだ。そう、明日わたしは結婚するのだ。そして、結婚先に嫁ぐため、この家を出るのだ。
「正直、わたしも淋しいよ。マリッジブルーってわけでもないんだけど、やっぱり住み慣れた家を出るのは少し淋しい。でもまぁ嫁ぎ先も同じ旭川市内なんだからいつでも会えるよ」
 淋しさを胸の奥に押し込め、わたしは笑顔で答えた。
「あ、そうそう、実はシュークリームを買ってきておいたのでした」
 そう言って母は冷蔵庫からシュークリームを取り出した。
「あ、これ梅屋のシュークリームだよね。っていうか、お母さん梅屋以外でシュークリーム買わないよね」
「もちろんです。シュークリームといえば梅屋、梅屋といえばシュークリームです。昔はノートに梅屋という字を覚えるために何度も何度も書き写したものです」
 またしても誇らしげに胸を張る母。いや、ちょっとヤバイ人に思われるのでは……?
 梅屋は大正3年(1914年)に旭川で創業した菓子処で、100年以上の歴史を持つ老舗だ。現在は旭川だけでなく、札幌や北見にも店舗を構え、道内では9店舗を展開している。
 和菓子屋として始まった梅屋は創業当時から北海道産の素材にこだわったお菓子作りを行ってきたが、昭和39年より独自の生シュークリーム(商品名:しゅうくりぃむ)を作りはじめて、現在は和菓子はもちろん、洋菓子など様々な商品を取り扱っている。
 これもすべて母の受け売りで、何度も耳にタコができるぐらい聞かされ続けたので覚えてしまった。母の梅屋愛はきっと旭川でも1,2を争う程だと思う……。
「確かに梅屋のシュークリームは味はもちろんだけど、食べたときのクリームのとろけるような舌触りがいいんだよね」
「その通りです! 愛乃もそれが分かる年頃になったのですね。母さんは嬉しいです!」
 がっしりとわたしの手を力強く両手で握りながら母が言った。
「このシュークリームを食べていると、愛乃がまだ小さかった頃のことを思い出します。確か5歳ぐらいだったでしょうか? 愛乃が梅屋のシュークリームを初めて食べたのは多分その時ですね。あれからもうこんなに月日が流れたのですね……」
 母は懐かしそうに天井を仰いだ。
「確か初めてお使いに行ったんだよね。何となくだけど覚えてるよ」
 わたしも母と同様に天井を仰ぐ……。意識はどんどんと過去へと遡る……。

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