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​寄稿SS保管庫

​<朝焼けの色を歌って>

<chapter2>~一般公開版:飛行機エンド~

 二人は、地上をはるかに離れた大空にいた。
 飛行機の客室は非常灯がぼんやりとついているだけで、窓の外に広がる一面の星空がよく見えた。
 客席はまばらにしか埋まっていない。
 時刻は、もうほどなく夜明けになる頃だ。
 本来なら二人はすでに北海道の新千歳空港について、小樽と東京、それぞれの住む街に帰っているはずだった。
 しかし、ウラジオストクからの飛行機がストライキで離陸時間を大幅に過ぎてしまい、結局ロシアを離れたのは日付が変わって大分経ってからだった。
 窓側の隣の席では、毛布をかけたターニャがかわいい寝息を立てて静かに眠っている。
 でもその手はしっかりと進次(しんじ)の手を握っていた。
 その進次は、体はかなり疲れているのに、ほとんど眠ることができなかった。
 初めてのロシア、そこで出会った彼女の両親、そしてターニャ、本当にいろいろなことがあった。
 そんなことを考えながら進次は、ターニャの手を優しく握りながら、ずっとその寝顔を見ていた。
 そのとき、進次の目に光が差し込んできた。
 小さな窓、そこから見えるものは、今起き出したばかりの朝日が創った朝焼けだった。
 紺と紫、白とオレンジのコントラスト、空を包むそれはとても美しい色だった。
 その景色に進次は息を呑んだ。
 見入っていると、進次の手の中であたたかいものが動いた。
「ん……」
 ターニャが薄目で進次を見上げている。
「おはよう、ターニャ」
「あっ、おはようございます、進次さん」
 そう応えたターニャも、目を窓の外へと向けた。
 ターニャの目に、朝の空の色がそのまま映る。
 その景色に、彼女も見入っていた。
「綺麗な景色ですね……」
 ターニャが感嘆の声を上げた。
「これが一日の始まりの色なんですね」
 ターニャが目を輝かせて、空を見つめている。
「私、こうやって朝焼けを見たのは初めてのような気がします」
「僕も朝焼けなんてしっかり見るのは初めてかもしれないな」
「まだまだこの世界には私たちの知らないことで溢れていますね」
 そういったターニャは、自分にかけていた毛布を進次の体にかけてきた。
 進次はそれを受け取って自分も毛布をかけた。
 二人で一つの毛布に入る。それはとてもあたたかいものだった。
「あっ、進次さん、見てください」
 ターニャの声に、進次が身を乗り出して外を見てみた。
 そこから見えた大地はまぎれもない北海道だった。
「帰ってきちゃいましたね」
 懐かしさとも寂しさとも取れる声が進次の耳に入ってきた。
「うん、そうだね……。あっ、ターニャ、あれ!」
 進次の声にターニャが、広がる大地のさらに一ヶ所を見下ろした。
 海岸線の一部、そこにあるのは朝焼けに包まれた小樽の街だった。
 少し霧がかった小樽の街は、とても幻想的な雰囲気をかもし出していた。
 ターニャの生きる街、そこもここからだと、とても小さく見える。
 しかし、ここからだからこそ見えた、今まで知らなかった小樽が確かにあった。
 ターニャは静かに、その街並みを見つめていた。
 そして、そって口を開いた。
「進次さん。私、この朝焼けの色をガラスで表現しようと思います。新しい道を歩き出した、二人で見た一日の始まりの色を……」
 そういうターニャの視線は、朝焼けでも小樽でもない、どこか遠くを見ている。
「私はツヴェト・ザカータ、夕焼けの赤を表現しようとガラス細工を作ってきました。そして進次さんに出会ってその願いは叶いました」
「ターニャが頑張ったからさ」
「ありがとうございます。でもそれは父の色であって、私の色じゃありません。だから……これからは私は私自身の色を見つけていこうと思います」
「ターニャ……」
「これはその第一歩です。この朝焼けを私と進次さんの色にしたいです……」
 二人は静かに寄り添って、二人の未来を照らす色を見つめつづけた。

 新千歳空港、ANAの出発ゲート前。
 進次とターニャが、向かい合っている。
「お別れ、だね……」
「はい……。次に会えるのはいつになるんでしょうね……」
 ターニャの切ない声が耳に入り、進次の中に熱いものが込みあがってきた。
 春休みが終われば、進次はいよいよ高校三年生だ。
 受験勉強が本格化すれば、バイトは止めなくてはいけないし、夏休みだって自由に使えなくなるだろう。
「正直、わからない」
 進次は本当のことを口にした。
 ターニャに隠し事はしたくなかったから。
 それはターニャもわかっていたのかもしれないが、いざ声に出されるとやっぱり寂しさが顔に広がっていった。
「寂しいです。でも私、我慢します。進次さんの未来のためですから」
「きっとこっちの大学に入るよ。そうすればターニャとの距離がぐっと近くなるし、もっともっと会えるようになるから」
「うれしいです。私、応援します。頑張ってくださいね!」
 その二人の目にあるのは、未来を願う輝きだけだ。
「――ANAから搭乗時刻のご案内です。ANA、東京羽田行き……」
 進次の乗る飛行機の発車時刻が迫ってきた。
 二人はもう一度だけ軽い抱擁をして、唇を重ねた。
 周りの目も全然気にならなかった。
「それじゃあ、行くよ」
「はい」
「今度会うときはもっと逞しくなって、ここに来るよ」
「私ももっと綺麗になって待ってます」
 そして二人は笑いあった。
「ダスビダーニャ、ターニャ!」
「さようなら、進次さん!」
 一時の別れの挨拶を交わして、進次は出発ゲートへと入っていった。
 そのとき最後にターニャの姿を見たら、彼女の目が何かに反射して輝いたことに気が付いた。
 そして自分も視界が少しゆがんでいることを。
 しかし進次はぐっとこらえた。
 これから自分がすべきことは、涙を流すことではなく、未来のために生きることだから。
 それはターニャと生きていくために必要なこと。
 進次がこの旅を終えてわかったことだ。
 ターニャのために強くなろう。
 進次はその優しい激動を胸に、北の大地を飛び立った。

~Fin~
 

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