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夕焼け堂のターニャさん

​第五話<もうひとつのお店?>

 とんぼちゃんがバイトを開始してから3週間が経過した。
 3週間と言っても学校がある間は土曜日と日曜日のみの勤務のため、回数的にはまだ6回だけの勤務である。
 それにも関わらず彼女の吸収力は非常に強く、硝子製品の製作以外の作業はほとんど問題なく行えている。
 また、良く通る声と持ち前の人懐っこさから接客業務にも長けており、お客様の笑顔も絶えない。おそらく無意識に行っていることだと思うけれど、これは誰にでも出来ることではなく、彼女の特技に他ならない。
 現に私の接客では相手に不快感は与えないまでもあそこまでお客様の笑顔は引き出せない……。
 改めてとんぼちゃんは凄いと実感した。
 一方、一ノ瀬君はというと、相変わらず口数が少ないので、一見ぶっきらぼうに見られがちですが、その反面、態度で示すという、自分のすべきことは必ずこなすといった感じでしょうか?
 自分の作る作品はもちろんのこと、依頼したことはそつなくこなしてくれる。
 それに、先を読む能力に長けているのか、物事を予測して動いているように思える事が多い。痒いところに手が届くという例が相応しいかもしれませんね。
 とんぼちゃんが「動」だとすると、一ノ瀬君は「静」といった感じでしょうか?
 タイプは全く違うけれど、二人ともきっちり自分の特性を活かして役割を果たしている。
 私ももっと頑張らないといけませんね……。
「ターニャさん?」
 そんなことを考えていると、不意に後ろからとんぼちゃんの声がした。
「はい、何でしょう?」
「あの、前から気になっていたんですけど、夕焼け堂の裏の小道の奥の方に建物がありますよね?何か今改装しているみたいですけど、あれって何です??」
 彼女の言う通り、夕焼け堂の裏には小道があり、その小道の奥には建物がある。夕焼け堂の「離れ」的な存在と言えばいいでしょうか?離れと言っても割りと大きく、洋風の建物なのですが。
 現在は改装中だが、以前は物置として使われていただけで、特に有効活用はされていなかった。
「実はですね、以前から進めていた計画で、奥の離れを改装してカフェをオープンする予定なんですよ」
 そう言ってとんぼちゃんを見ると、数秒のフリーズの後、ピョコピョコと彼女のトレードマークである尻尾、もといポニーテールが元気よく揺れ始めた。
「え?カフェですか!わぁ凄いですね。いつオープンですか??」
 さらに尻尾が勢いよく左右に揺れる。
「そうですねぇ、予定ですと来月半ばぐらいにはオープンできるそうですよ」
「じゃあ夏休み中にはオープンするんですね。あ、でもスタッフってどうなるんですか?夕焼け堂もあるのでカフェとの掛け持ちは難しいですよね?」
 とんぼちゃんの言っていることは最もな話で、現在のスタッフの人数では到底カフェの経営なんて不可能である。それに実際私にはカフェを経営をするようなノウハウは当然のことながら持ち合わせていません。
「それはですね。とんぼちゃん、水曜日の放課後お時間ありますか?」
 コクコクととんぼちゃんが頷く。
「では水曜日の放課後に夕焼け堂に来て下さい。その時に色々と説明をさせてもらいますね」
「え~~!それじゃ、それまでは秘密ですか!?後二日もあるじゃないですか!これじゃ気になって眠れないですよ。ターニャさん、イジワルです……」
 とんぼちゃんが頬をプク~っと膨らませ、抗議している。
「フフフ、それは来てのお楽しみデス」


<そして水曜日>

 あれから二日が過ぎ、水曜日を迎えた。
 本日は水曜日のため、夕焼け堂は定休日で、お店の正面の入り口は閉まっている。
 時刻はもうすぐ18時になろうとしていた。
「ターニャさん!」
 最近よく耳にする、聞きなれた声が遠くから聞こえてくる。
「あ、こんばんは、とんぼちゃん」
「お疲れ様です。ターニャさん。ついにこの日が来たんですね!」
 息を切らせながらとんぼちゃんが駆け寄ってくる。
「大袈裟ですね、とんぼちゃんは」
「そんなことないですよ。昨日だって夜も寝れなかったんですよ!おかげで授業中爆睡しちゃいました」
「そ、そうなんですね……(結局は良く眠れたのですね…)」
 そう言っている間にもとんぼちゃんは奥のカフェが気になるようで、移動するのを今か、今かと待っている。
「それでは案内しますから、鞄はこちらへ置いておいて下さいね」
 夕焼け堂の裏口を開け、鞄を置くよう促すと、奥の小道の方へ歩き出す。
 小道は舗装されていて、歩くスペースは石畳になっている。幅は大人が二人並んで歩くのがやっとといった感じだ。
 石畳の周囲には木々が生い茂っていて、まるで外国のおとぎ話に出てくるような、そんなイメージだろうか。
 小道を進むと、洋風の建物が視界に入ってきた。外観は夕焼け堂に負けず劣らずの古さで現在は建物の補強と、内装の改装に取り組んでいる。数人の作業員達が忙しそうに建物内を行き来しているのが見えた。
 正面の玄関をくぐると、中はワンフロアのオープンスペースになっており、中央やや右側には一段高くなったスペースがある。ここにはもうすぐピアノが運ばれてくる予定になっている。
 このフロアの先はテラスになっており、入り口の左右にはテーブルと椅子が並べられている。テラスの更に遠方には海が広がっているため、風に乗って潮の香りが漂ってくる。 「よぅ、ターニャ」
 テラスに出たところで私を呼ぶ声が聞こえてきた。
 腰まで届きそうな艶のある黒髪を風になびかせて、声の主はテラスの奥からこちらに向かって歩いてくる。
「ハヤカ!先に来ていたのですね」
 彼女の名は左京葉野香(さきょうはやか)。私の数少ない親友と呼べる人。初めて出会ったのは札幌駅の地下街だった。強引な男性に絡まれていたところを助けてもらったのがきっかけで、今では10年以上の付き合いとなっている。札幌に住んでいて、最近まではお兄さんのラーメン屋、「北海軒」の手伝いをしていた。
「あたしもさっき来たとこだよ。ええっと、その子が例の?」
「はい、以前話した夕焼け堂の新しいメンバーのとんぼちゃんです」
 私は後ろにいたとんぼちゃんの肩に手をやり、身体を一歩前に押しやった。
「は、初めまして日々木とんぼです……」
 少し緊張した表情でとんぼちゃんが挨拶を交わした。
 確かに初対面ではハヤカは少し怖そうなイメージがあるのだろうか。あの出で立ちや口調からか、さすがのとんぼちゃんでも気圧されてしまっている。
「あぁ、別にそんなに身構えなくてもいいよ。取って食ったりなんてしないからさ」
 あははと葉野香は笑って見せた。
「あたしは左京葉野香。一応この店が完成したら、ここの店長ってことになるのかな。ターニャから話は聞いてるよ。ここの見学に来たんだろ?まぁまだ未完成なんだけどさ。ゆっくりと見ていくといいよ」
「ありがとうございます。ここってカフェになるんですよね?あたしどんなお店になるんだろうって今から楽しみで仕方ないんです!」
 とんぼちゃんの尻尾(ポニーテール)が嬉しそうに揺れる。
「そうだな、昼間はカフェで夜からはバーって感じかな。昼間はCafe夕焼け堂、夜はJazz&Bar夕焼け堂。ほら、あの一段高くなっているスペースにピアノを置くんだよ。と言ってもこの建物と同じで古いピアノだけどね」
 葉野香はテラスから建物を見上げながら言った。
「コホン、古い建物で悪かったデスね、ハヤカ……」
 ワザとらしく咳払いをし、葉野香を睨んでみせた。
「わ、悪い…別にそんなつもりじゃ……。言葉の綾ってやつだよ。ターニャ、あはは…」
「ま、ハヤカの言うとおりなんですけどネ」
 私も悪戯っぽく笑った。カフェと硝子工房で職種は違えど、ハヤカと一緒に仕事ができると思うと、今更ながらに嬉しくて仕方がない。ほんとに地下街での出会いには感謝しないといけない、と改めて感じる。
「Jazz&Barってことはやっぱり音楽はJazzが流れるんですよね?」
 とんぼちゃんが興味深く尋ねた。
「あぁ。といっても基本的には有線やCDだけどね。出来ればイベントとして、ピアノもあることだし、生演奏なんかもお願いしようと考え中さ」
「凄い!それは素敵ですね。あたしもブラスバンド部でトランペットを担当しているので、とても興味深いです」
「へぇ、そうなんだ。なら機会があればうちで演奏してみるかい?大したお礼は出来ないけどさ」
 葉野香のその言葉で一瞬、とんぼちゃんの動きが止まった。
「え?あたしがですか!?いやいや、あたしの演奏なんてまだまだですよ……」
 とんぼちゃんは胸の前で両手を激しく振ってみせた。
「そんなこと気にする必要なんてないさ。あたしだってジャズなんてほとんど分からない、なんちゃって店長だしね。それにさ、音を楽しむって書いて音楽だろ?楽しんで演奏したらいいんだよ。もしそんな演奏を笑うような客はあたしが叩き出してやるからさ」
 葉野香はアハハと笑い飛ばした。
 それはそれで大いに問題ありなんじゃないでしょうか?ハヤカ……。
「よくぞ言った。それでこそ葉野香だよ!」
 不意に私達の後ろの方から声が聞こえてきた。
 声の主はフロアの方から私達のいるテラスに向かってくる。葉野香より少しだけ背は低めで、全体的にはショートヘアになるのだろうか?前髪の両サイドと、後ろ髪が長く、後ろ髪はおさげのようにリボンで結わえられている。とんぼちゃんとはまた違った尻尾(おさげ)といった感じだろうか?
「遅い!10分遅刻だぞ」
 葉野香が彼女に言った。
「主役は遅れてやって来るものだと昔から決まっているのだよ。葉野香君」
 彼女はニヤリと笑みを浮かべながらそう言った。
「何言ってんだよ。馬鹿なことばかり言ってると殴るよ!」
 と言うと同時に葉野香は手に持っていた見取り図を筒状に丸めてポカリと彼女の頭をぶった。
「痛い!既に殴ってるじゃんか!あ~ん、ターニャ、葉野香がいじめるよ~。言うより先に手が出るタイプだよね、葉野香って」
 そう言って彼女は私にしがみついてきた。
「フフフ、相変わらず元気ですね瑞穂さんは」
 彼女の名は千歳瑞穂(ちとせみずほ)。元々は内地の方で、何でも北海道が大好きで、札幌の葉野香の通っていた高校に転校してきたとのこと。そこで葉野香とも知り合い、そのおかげで、私も瑞穂さんと顔見知りになり、現在に至っています。
 性格はまぁ……あんな感じなので、いつも楽しく?場を和ませてくれています……。
 ハヤカと瑞穂さんのコンビは、夕焼け堂でいう一ノ瀬君ととんぼちゃんといった感じでしょうか。
「どうも初めまして。千歳瑞穂です。この度、葉野香と共にCafe夕焼け堂及び、Jazz&Bar夕焼け堂で働くことになりました。よろしくね」
 ニコリと瑞穂さんはとんぼちゃんに微笑みかけた。
「少し前から夕焼け堂でバイトさせてもらっている日々木とんぼです。こちらこそよろしくお願いします」
 とんぼちゃんもペコリと頭を下げる。
「とんぼ…ちゃん??」
 瑞穂さんは少し考え込むように言った。
「変わった名前ですよね……?」
 あははととんぼちゃんは苦笑いを浮かべた。おそらく自己紹介のたびに何度もこのやり取りを繰り返しているのだろう。
「いやいや、とんぼってことはドラゴンフライ、ドラゴンじゃん!うん、かっこいいよ。いい名前だね」
 瑞穂さんの言葉にとんぼちゃんは戸惑いを隠せないでいる。普段なら自己紹介をすると大抵は相手が戸惑いを見せるか、聞き違いだと思われ、もう一度名乗ることになる。
 けれど今回は良い意味で逆にとんぼちゃんが戸惑っている。
「あ、ありがとうございます。そんなこと言われたの初めてだったので、ちょっとびっくりしました」
「そう?良いと思うけどな。内に秘めたるドラゴンの力!う~んかっこいいよ!」
 何故かカンフーらしきポーズを取る瑞穂さん……。
「何変なポーズ取ってんだよ。そろそろ打ち合わせ始めるから中に入るぞ」
葉野香に背中を掴まれ、瑞穂さんは室内に引っ張られてゆく。
「あ、そういえばドラゴンフライってドラゴンとフライだから竜田揚げだね!」
 引きずられながら去ってゆく瑞穂さんがグっと親指を立てながら叫んだ。
「…………」
 瑞穂さん、それすでに一ノ瀬君が言いましたから……。

つづく

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