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夕焼け堂のターニャさん

夕焼け堂ターニャさん 番外編~雪あかりの路~

夕焼け堂のターニャさん番外編

 今日も小樽には深々と雪が降り積もってゆく。2月にもなると小樽の気温は0度を下回り、氷点下となる。夜になればさらに寒さが増してくる。道を行く人達の吐く息も白く色付き、自然と足取りも速くなる。
 時刻は20時を少し回り、昼間賑わいを見せていた観光客の数もまばらになり始めた。
「それじゃそろそろ閉めようか」
「ハイ、そうしましょうカ」
 私は大和さんに目配せすると、店の入り口の戸を閉め、閉店作業に取り掛かった。今日も夕焼け堂の1日が終了した。
 夕焼け堂……。ここは私と夫の大和さんが二人で経営している小さな硝子工芸品のお店。元々は古民家であった建物を改装して1階スペースをお店として利用している。
 お店といっても今年の4月にオープンしたばかりで、はっきり言って上手くいっているとはお世辞にも言えない状態なのだ。
 一応私が夕焼け堂の経営者(責任者)ではあるのですが、それは名ばかりで、経営の「け」の字も分かっていない初心者もいいところで、大和さんに支えてもらいながら何とかその日その日を乗り切っているというのが現状です。
 閉店作業を終え、2階で少し遅めの夕食を取る。
「今日は久しぶりにボルシチを作ってみました。といっても即席でじっくり時間をかけて煮込めていませんので味に自信はありませんケド……」
 本来ボルシチは野菜やお肉を炒めた後、スープでじっくりと煮込むのが基本なのですが、やはり仕事の合間に作るとなるとどうしても煮込む時間が短くなってしまう。
「うん、十分美味しいよ。仕事大変なのにいつもありがとう」
 そう言って大和さんはいつも私を気遣ってくれる。この大和さんの優しさや気遣いが私を突き動かす原動力になっているのは間違いないです。
「ごちそうさま。洗い物は僕がするからゆっくりするといいよ」
 そう言って腕まくりをする大和さん。
「ありがとうございます。それじゃ私は温かい紅茶でも淹れますね」
 お言葉に甘えてさっそく紅茶を淹れる準備に取り掛かる。といっても、紅茶のティーバッグにお湯を注ぐだけなのですが……。
カップを二つ用意し、お湯を注ぐと、徐々にカップの中が少しずつ琥珀色に色付いていく。
 食器洗いが終わり、大和さんがテーブルの前に座ったのを確認し、二人分の紅茶が乗ったトレーを溢さないようにテーブルまで運ぶ。
「お待たせしました」
 大和さんの前にカップを1客置くと、その隣りに自分用のカップを置き、隣り合わせに座る。
 いつもなら向かい合わせに座るのだが、そうすると、テレビに背を向けることになるので、食後のティータイムには二人でテレビを見ながらゆっくりくつろげる様に隣り合わせに座ることが多い。
「う~ん、良い匂いだね」
 カップから紅茶の香りが湯気と共に立ち昇っている。
「今日はミルクもレモンも入れていないのでこちらと一緒にどうぞ」
そう言ってトレーに残されていたジャムの入った小さな器とティースプーンをカップの横に置いた。
「お、今日はロシアンティーなんだね。それじゃさっそくいただきます」
 私の母国ロシアでは紅茶を飲む際に、一緒にジャムを食べる習慣があります。もちろん、すべてのロシアの紅茶がそうではありませんが、紅茶に砂糖を入れる代わりに少しジャムを口に含んで、紅茶と一緒に飲むという伝統的な紅茶の飲み方があります。
 日本の方にはあまり馴染みのない飲み方かもしれませんね。以前、私がまだ日本に来て間もない頃に「エンゼル」という喫茶店があったのですが、そこの店長さんが気を利かせてくれて、メニューにロシアンティーを追加してくれたのを思い出します。
「うん、美味しいよ。それに何だかとてもいい香りがするね」
「ハイ、今日はローズジャムを使ったので、いつものフルーツジャムとは違う薔薇のいい香りがしますね」
 毎日の仕事は忙しいけれど、仕事の後の大和さんとのこの時間は身体も心もホっと温まり、安らげる幸せなひと時です。
 他愛のない会話をしながら何となくテレビのチャンネルを変えていると、見知った場所が映っていたので手を止める。
 リポーターの女性が小樽運河をバックに今年も「小樽雪あかりの路」が開催されていることを知らせている。
「今年ももうそんな時期なんだね。この間年が明けたばかりの気がしていたのに、日が経つのは早いなぁ」
 何だかおじいさんのようなことを言う大和さん……。
「綺麗ですね~。ろうそくの光が雪に反射してとても幻想的です」
「明日仕事が終わったら一緒に行ってみようか?」
「え?いいのですカ?お疲れではないですか?」
「大丈夫だよ。明日一日頑張れば、明後日は定休日だしね。それにターニャ、最近何だか製作の方が行き詰ってるみたいだから良い気分転換になるかもしれないしね」
 そう言って大和さんは優しく微笑んでくれた。
「嬉しいです。ありがとうございます。私も大和さんと一緒に行ってみたいです」
 一緒に行けるのはもちろん嬉しいですが、話していなかったのに、新しい作品の製作に悩んでいるということを分かってくれていて気を遣ってくれる、そんな優しさが何より嬉しかった。
「それじゃ、明日に備えて早くお風呂に入って、ゆっくり休もうか。良かったら一緒に入る?」
「え?ハ、恥ずかしいでス!や、大和さんからお先にドウゾ……」
 突然のことに驚き、意味もなく両手をバタバタさせて慌てふためく…。
「ははは。それじゃお言葉に甘えて先に入らせてもらうよ。気が向いたら一緒にどうぞ」
 そう言って大和さんは1階へ降りて行った。
時々大和さんはどこまでが冗談なのか分からないことを言って私を驚かすことがあります。私をからかって楽しんでいるのでしょうか……。
「一緒に入った方がいいのでしょうカ?」
 そう呟いて見つめた鏡の中に映った私の顔は耳の先まで真っ赤だった……。


 翌日、いつものように仕事をこなし、辺りはすっかり真っ暗闇に覆われる時間となった。小樽運河のガス灯にも明かりが灯り、所々に点在するイルミネーションも光り輝き始めた。
「少し早いけど今日はこれで閉めようか」
 店内のお客さんがいなくなったのを見計らって、大和さんが言った。時刻は19時30分を回ったところだった。普段なら夕焼け堂の営業時間は20時までなのですが、今日は雪あかりの路に行くことになっていたので、大和さんが気を利かせてくれたのだ。
「それじゃ急いで支度しますネ」
 急いで閉店作業を行い、戸締りを済ませる。確か雪あかりの路は21時までやっているので、今からなら十分に間に合うはずです。
「お待たせしました。それじゃ行きましょうカ」
 ここから雪あかりの路の会場まではそう遠くないので、歩いて会場を目指す。雪が積もった歩道は歩くたびにギュッギュッと音が鳴る。
「そのマフラーもかなり年季が入ってきたね。そろそろ新しいのを買おうか?」
 大和さんが私の巻いているマフラーを見ながら言った。
「私はこのマフラーがいいです。これは以前誕生日に大和さんから貰った大切なマフラーですから。これがいいんです」
 このマフラーは私がまだ運河工藝館で働いていた頃に大和さんから誕生日プレゼントに貰ったマフラーで、様々な思い出がたくさん詰まっている。嬉しい時も辛いときも、私を優しく見守ってくれた大切なマフラーなのですから……。
「そっか、ターニャがそう言うのなら……。そのマフラーは幸せ者だね」
 小樽運河に向けてしばらく歩いていると、徐々に人の数が多くなり始めた。
 小樽雪あかりの路は1999年から開催されており、手宮線会場と、運河会場をメインとして様々な場所で地元の商店街や町内会等が協力して雪とキャンドルの幻想的な祭典が開催されている。
「わぁ、とても綺麗ですね。冷たいはずの雪がキャンドルに灯された火でとても暖かく感じますね」

至るところに設置されたキャンドルのオレンジ色の光が雪の白さに反射し、とても幻想的な雰囲気を演出している。
 その中に紙コップの中にキャンドルで火を灯した物がたくさん目についた。そしてその紙コップには様々なお願い事が書かれている。七夕の短冊と同じような感じでしょうか。
「せっかくだから僕達も何かお願い事書いていこうか?」
 大和さんはそう言って、イベント会場で紙コップとキャンドルを購入すると、う~んと唸り始めた。
「いざお願い事となると悩むものだね。ターニャは何かお願い事とかある?」
「そうですね…、急にお願い事と言っても難しいですネ。それに、私の願いはすでに叶っていますから……。ロシアから小樽にやって来て父の遺した色、ツヴェトザカータを再現することが出来ました。それに今はこうしてお店を持つことも出来ました。そして何より私は大和さん、アナタに出会うことが出来ました。こんなに幸せなのですから私の願いはすでに叶っているんですよ……」
 運河工藝館で働き始めた頃には想像も出来なかったことが、今はこうして実現されている。あなたと出会い、あなたの笑顔が私を変えてくれた。わたしにとってこれ以上の幸せはないというぐらいに……。
「ならこうしようか」
 大和さんは紙コップに何かを書き始めた。
「僕もターニャに出会えて、こうして一緒に居れてとても幸せだと思う。この幸せがずっと続くことを心から祈っているよ」
 そう言ってメッセージキャンドルに火を灯し、雪の台座の上に置いた。そこには「いつまでも一緒に…」と書かれていた。


「素敵なお願い事ですネ。これからもずっと一緒ですよ」
 私がギュっと大和さんの手を握りしめた。大和さんもそれに答えて優しく私の手を握り返してくれた。大和さんの暖かさが私の右手から全身に伝わってくるのを感じた。
「もちろんだよ、これからもずっと。ふたりで素敵なおじいちゃんとおばあちゃんになろう!」
「ふふふ、末永くよろしくお願いしますネ」
 しばらく二人で会場を散策していると、前方に見知った顔を発見した。
「こんばんは。日々木さん、とんぼちゃん」
「おぉ、大和の兄ちゃんにターニャちゃんじゃないか」
 このフレンドリーで陽気な方は日々木さん。運河工藝館の頃からの常連さんで、夕焼け堂にも良く足を運んでくれています。
「こんばんは、お久しぶりです!」
 こちらは日々木さんの娘さんでとんぼちゃん。とんぼというのは日々木さんが大の硝子好きだったため、硝子のとんぼ玉から命名したらしいです。
「こんばんは、とんぼちゃん。とんぼちゃんも来ていたのですね」
「はい、ちょっと受験勉強の息抜きに来ました」
 そういえばとんぼちゃんは今年高校受験でしたね。初めて会った時は確かまだ小学生だったのに、月日が経つのは早いものです。
「どうですか、手ごたえの方は?」
「う~ん、どうでしょうか?五分五分といった感じですね……。なので、困ったときの神頼みじゃないですけど、メッセージキャンドルにお願い事を書きに来たんですよ」
 とんぼちゃんは苦笑いを浮かべながら話しを続けた。
「なのに父さんったらヒドいんですよ。合格できますようにって書いたあたしのメッセージキャンドルに火を灯して置こうとしたら、父さんがくしゃみして火が消えちゃったんですよ!信じられない、縁起悪いったらないですよ……」
 そう言って小さな身体全体を使って経緯を必死に表現する度にぴょこぴょことポニーテールが揺れる様子がとても可愛く、微笑ましいです。
「まぁ出ちまったもんは仕方ねぇわな」
 日々木さんは、わはははと豪快に笑い飛ばした。
「仕方ないじゃないわよ!受験失敗したら父さんのせいだからね!」
「勘弁してくれよ、そりゃ自分の努力不足だろうに。大和の兄ちゃんからも言ってやってくれよ……」
 バツが悪くなった日々木さんは急に大和さんに助けを求めた。
「そう言われましても……。でもとんぼちゃん、きっと努力は裏切らないよ。自分を信じて受験までラストスパート頑張ってね」
「ありがとうございます!後悔しないように頑張ります。試験終わって落ち着いたらまたお店にも遊びに行きますね」
 とんぼちゃんはグっと両手を強く握り、力強く答えた。
「ハイ、私も応援していますので頑張ってくださいネ」
「良い結果を夕焼け堂にお届けできるように頑張りますね~。それじゃ、帰ってひと頑張りしますね」
 とんぼちゃんはぺこりと頭を下げると、くるりと180度向きを変え、走り出した。
「わっ!」
 走り出したのは良かったのですが、前をちゃんと見ていなかったので、向かいから来た男性にぶつかってしまった。
 その男性がしっかり支えてくれたおかげでとんぼちゃんは転倒せずに済んだ。
「す、すみませんでした……」
 とんぼちゃんが慌てて頭を下げる。
「いや、それより怪我はなかったかな?」
 ニット帽を被り、マフラーで顎の辺りまで隠れていたのではっきりと顔は分からなかったが、その口調からは優しそうな雰囲気がにじみ出ているように感じた。身長は180cm近くあるだろうか。
「それじゃ、俺はこれで……」
 軽く右手を挙げ、その男性は行ってしまった。
「何やってんだよ、全く。さっきの兄ちゃんが支えてくれたから良かったが、あのまま滑って転んでたら受験前なのにそれこそ縁起でもねぇよ」
「う、分かってるよ……。ホントうるさいんだから、父さんは……」
 何だかんだ言っても日々木さん親子はとても仲が良く、見ているこちらまで明るい気持ちにさせてくれる、そんな二人が私は大好きです。
 イベント終了時刻の21時まではもう少し時間があったので、大和さんとその後も会場を散策していると、氷で出来たキャンドルホルダーが辺り一面に並んでいる区画があるのを発見した。今まで見てきた雪で出来た器や、メッセージキャンドルとはまた違った輝きを放っている。
 氷で出来た器の中で光り輝くろうそくの光は、雪の中で輝くオレンジ色の光よりも器の透明度が高いためか、白く澄んだ光が反射している。オレンジ色の暖かい雰囲気の光とは違い、白く澄んだ光は心が落ち着く、そんな感じだろうか。

「何か思いついたみたいだね」
 不意に隣りで見ていた大和さんが口を開いた。
「ハイ。最近新しい作品の製作に悩んでいたのですが、この素晴らしい光景を見て、作りたいものが出来ました。私はこの2種類の雪明りの光を硝子のキャンドルホルダーで再現してみたいと思います」
 ひとつは、雪で出来たキャンドルホルダー。これは雪のような真っ白な透過性の少ない擦り硝子で、もうひとつは氷を再現するため、透明な硝子に水泡をイメージ出来るように気泡を少し多めに加えて、透明な部分と半透明な部分を再現出来れば……。
 頭の中で製作のイメージを膨らませる。自然と口元が緩み、笑みがこぼれた。
「嬉しそうだね。やっぱり笑顔のターニャが一番良いよ、うん」
 大和さんが自分のことのように一緒に喜んでくれる。
「あ、ありがとうございまス。でもそう言われるとちょっと恥ずかしいですネ」
 もしかしたら大和さんはこうなることを見越して私を雪あかりの路に誘ってくれたのでしょうか?
「うん?どうかした?そろそろ寒くなってきたし、帰ろうか?」
 大和さんが不思議そうにこちらを見ている。
「そうですね。温かいお風呂に入りたいですネ」
 本当に大和さんは不思議な人です。こんな私をいつだって気遣ってくれる。
「よし、それじゃ一緒に入ろうか?」
 大和さんは昨日と同様にどこまでが冗談なのか分からないことを言った。
「では、たまには背中でも洗って差し上げますヨ」
「えっ?ターニャさん……本当に??」
 大和さんが立ち止まり、少し狼狽えているのが分かった。こんな大和さんは初めてかもしれません。
「さて、どうでしょうか?早くしないと置いて行きますヨ?」
私は悪戯っぽく笑うと、大和さんの前を早足で歩き出した。隣りを歩くと顔が真っ赤なのがバレてしまいます……。
「待ってよ、ターニャ」
 少し後ろを慌てて駆け寄ってくる大和さん。
「ダメです、待ちません!」
 大好きなヒトが隣りに居てくれる……。私は本当に幸せ者だと改めて感じる。
 私も大和さんにそう感じてもらえるような存在でこれからもあり続けたいと心から思います。
 明日も素敵な一日になりますように……。

fin

あとがきという名のいいわけ

 皆さまこんばんは。sayです。今回は夕焼け堂のターニャさんの番外編第2弾ということで、小樽雪あかりの路を舞台に(そんな大層なことはありませんが)かいてみました。本当なら雪あかりの路が開催されている2月半ばぐらいに更新出来れば良かったのですが、まふゆssの雪まつりシーズンと重なってしまい、自分の執筆速度ではとても間に合いませんでした(いいわけ全開w)。
 一応設定的には、ターニャと大和が夕焼け堂をオープンさせてまだ1年経過していない(約10カ月)頃という設定で書いていますので、夕焼け堂は夫婦二人で経営している状態です(実際二人だけで可能なのかという突っ込みはなしの方向でw)。
 この後、とんぼは見事に三葉高等学校の受験に合格し、夕焼け堂でバイトを始めることになります(本編参照)。
 今回、このssを書くにあたり、当HPの管理人の嘉麟さんには実際に雪あかりの路の会場に出向いてもらい、沢山の写真を撮ってきていただきました。そのおかげで、会場内の雰囲気や、メッセージキャンドルを使った催し物等もイメージができました。この場を借りてお礼申し上げます。
 実際に写真を見て、雪の器と氷の器でろうそくの火の反射具合や光の色が違うということが分かり、ssの内容にも取り入れることができました。
 後はただ、ターニャと大和のありふれた日常を書いてみたいと思い、今回のssができたという感じです。
 あの後ターニャと大和が一緒にお風呂に入ったのかどうかはご想像にお任せします(笑)
 ここまで読んで頂いた皆さま、ありがとうございました。読んでくれる方があってのssです。今後も少しずつ更新していきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。それではまた……。

2020年3月 say

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