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夕焼け堂のターニャさん

​第二話<夕焼け堂の従業員>

 季節は6月も半ばを迎え。北海道にももうすぐ夏がやって来る。
 最近では6月も半ばとなれば、北海道でも気温が夏日を超えることもしばしばある。
「もうすぐ夏ですね」
 夕焼け堂の看板を店先に出しながら空を見上げる。雲ひとつない空、本日も小樽は快晴、旅行日和だ。
 開店の準備を始めるため、店内の電気を点け、入口の戸を目一杯開き、店内に光を取り入れる。時刻は8時30分を回ったところだった。
 フオン、フオンっと遠くの方からバイクのエンジン音が聞こえてくる。その音は段々と夕焼け堂に向かって近づいてくる。さらに音が大きくなり、1台のバイクが目に入った。
 Kawasaki ZEPHYRχ。オレンジと黒の流線形のティアドロップタンクが特徴の、Kawasakiを代表するバイクだとネットか何かで見た気がします。
 バイクは夕焼け堂の前で停車すると、ドライバーはフルフェイスのヘルメットを脱いだ。
「おはようございます。店長」
 8時35分。決まってこの時間に彼はやって来る。
「おはようございます。一ノ瀬君」
 彼の名は一ノ瀬奏(いちのせかなで)。年齢は21歳で、私と主人以外で唯一の夕焼け堂従業員。
 すらっと長い手足に整った顔立ち、艶のある黒い髪。まるでモデルのような出で立ち……。
 彼は数か月前から硝子職人としてうちで務めてくれているのだが、実のところを言うと詳細はよく分かっていない。
 突然店にやってきて、「雇ってほしい」とのことだった。
 正直、私と主人だけで、店を運営するのは厳しいということはよく分かっていたし、かと言って、すぐに戦力になる硝子職人の知り合いなんて私達にはいなかった。
 そのため、ダメ元で、面接と称して、彼に工房でグラスを作ってもらうことにしたのだ。
 その結果は予想を裏切るものであった……。
 吹き竿の動きにほとんど無駄がなく、見た目に似合わず力強く、硝子に命を吹き込んでゆく。まだまだ荒削りではあるが、硝子職人としての素質は充分だった。
 そして何より決め手となったのは、バーナーワークだった。お題のとんぼ玉は卒なく作成し、細かな桜の花びらの模様まで表現していた。極めつけは、余った硝子で猫のガラス細工を作って見せた。その猫もまた、本人のクールそうなイメージには似つかない、とても可愛らしい作品だった。私はその何とも言えないギャップに惹かれたのかもしれない。
 そんなわけで、問題なく面接?をパスし、夕焼け堂の硝子職人兼従業員として彼は現在もここで働いているのです。


 店内の開店準備を済ませ、開店時間の9時を待つ。
 遠くからメルヘン交差点の蒸気時計の蒸気音が聞こえてくる。
 朝9時、今日もいつもと変わらず夕焼け堂はオープンした。

 夕焼け堂での仕事の割り振りはというと、基本的には私が店長ということになっているので、一応この店の責任者ということになっている。店長と言っても、従業員3名の小さな店なので、硝子細工の製作もすれば、接客もする。
 夫である大和さんは経理や、事務的なことをメインにしており、接客も担当してくれている。
 一ノ瀬君は基本的には製作をメインに行い、店の忙しさに応じて接客もお願いしている。
 要は、みんな臨機応変に動いているということになるのでしょうか?
 一ノ瀬君が勤務してくれるまでは硝子製品の製作は、私ひとりが手がけていたのだが、お客さんが多い時間帯になると、接客業務に回るため、なかなか製作が追いつかず、新商品を店頭に並べるのは難しかった。そのため、夕焼け堂をオープンした当初は勤務が終わってから工房に籠り、商品の製作をしたものだった。
 その問題を解消すべく、大和さんも吹き硝子やバーナーワークを覚えようと努力はしてくれたが、短期間で技術を習得するのは難しかった。
 その商品不足を埋めるべくして閃いた案が、私の祖国であるロシアの民芸品を取り寄せて販売することだった。
 幸い、祖国の母も協力的だったので、大きな問題もなく、送ってもらったマトリョーシカなどの民芸品を店の一角で販売することができた。また、数か月に一度程度、自ら商品の買い付けを口実に里帰りをすることもできた。これは大和さんが提案してくれたことで、時々お言葉に甘えさせてもらっている。
 現在では一ノ瀬君がお店に務めてくれているので、単純に硝子製品の製作数も2倍になっているので、商品のラインナップも充実している。
 最近では夏が近づいてきていることもあり風鈴が良く売れている。シンプルな透明の硝子細工の風鈴や、金魚や花火の模様をあしらった風鈴など様々な風鈴が風に揺られ、チリンチリンと涼しげな音を奏でている。
「店長、少しよろしいでしょうか?」
 不意に私の後ろから一ノ瀬君の声がする。
「ハイ、どうされました?」
「現在作成中の風鈴なのですが、風鈴の紐の下に付ける紙の短冊を硝子で作った短冊に変更したいと考えているのですが、許可をもらえないでしょうか?」
「それはどういった理由からなのでしょう?」
 私は一ノ瀬君の提案について確認の意味も込めて質問する。
「これは自分の意見なのですが、硝子の短冊を使用することにはメリットと、デメリットが存在すると考えます。まずデメリットですが、短冊を硝子にすることで、風鈴本体を含め、全体的にほとんどのパーツが硝子になるため、軒下に設置する場合、強風などで、煽られると、割れてしまう可能性が増します」
 彼はそこまで説明すると、一呼吸置いた。
「次にメリットですが、紙の短冊の場合、経年による劣化で本体は問題なくても短冊が破れたり、雨で濡れて変形したりという問題がありますが、硝子の短冊の場合は紙に比べると劣化の頻度は少ないと考えます。多少の色焼けなどはあるとは思いますが」
 更に一呼吸置き、
「そこで自分が提案したいのは風鈴としての機能はもちろんとして、インテリアとして、今まで以上に人の目を惹く風鈴を作りたいと考えています。硝子の短冊を取り外しが可能な物にして、その日の気分や、季節で取り替えが出来る物にすればどうでしょうか?例えば、夏なら花火や向日葵、冬なら雪の結晶といった風に」
 一ノ瀬君のプレゼンに熱が入る。彼は常に何か新しいことに取り組もうと日々努力している。私もその姿勢には見習わないと、と素直に思えた。この熱意は彼の魅力のひとつだ。
「なるほど、インテリアとしての要素に特化した、短冊まで硝子の風鈴ですか……。短冊が取替え式で季節感も楽しめるのは素敵ですね。シリーズ化して少しずつ短冊の模様のバリエーションも増やしていければいいかもしれませんね」
「では商品化に向けていくつか試作してみてもよろしいでしょうか?」
「よろしくお願いします。素敵な作品を期待していますね」
 一ノ瀬君はメモ帳を取り出し、何かを書き込みながら工房の方に戻って行った。

 小樽の夏はすぐそこまで来ている。夏休みシーズンになると、今まで以上に観光客でこの街は活気で溢れ出す。
 夕焼け堂の運営も最近は軌道に乗ってきている反面、スタッフが3名だけでは観光客が多くなってくる夏休みシーズンは対応が大変になり、乗り切るのは困難であることは明白であった。
「やはりもう一人ぐらいスタッフが欲しいところですね…」
 それは深刻な問題だなぁ…と頭を悩ませていると、見知った顔が目に入った。
 相手もそれに気付いたらしく、私に向かって手を振ってくれた。
「こんにちは、ターニャちゃん」
「こんにちは、日々木さん、お久しぶり……でもないですね」
 目の前に立っている男性は日々木さん、年齢は40歳前後ぐらいで夕焼け堂の常連さんだ。
「そうだね、二日振りかな?ほんとは毎日でも来たいんだけどね~。何しろ俺は運河工藝館の頃からターニャちゃんファンだからね」
 日々木さんは陽気に答えた。
 日々木さんとは私が運河工藝館で働いている頃からの知り合いで、かれこれ7,8年の付き合いになるだろうか?硝子細工がとても好きな方で、よくお店に顔を出してくれる。
「よ、大和の兄ちゃんも二日振りだな!硝子細工の腕は上がったかい?」
「こんにちは、日々木さん。なかなか上手くはいかないですね~。この間作ったとんぼ玉もこの有様ですよ…」
 大和さんは、自分が数日前に作ったとんぼ玉を見せながら言った。
「う~ん、ま、まぁそれもなかなか味があって良いと…思うよ?うん」
「あ、ありがとうございます。一応褒め言葉だととっておきますよ、ははは」
「最初から上手く出来る奴なんていないよ。継続は力なりだよ。頑張れよ、応援してるからさ」
 わははと笑いながら日々木さんが言った。相変わらず豪快な人だ。
「日々木さんはほんとに硝子がお好きなんですね」
「まぁね、今じゃ夕焼け堂の大ファンだからな~。硝子好きに悪い奴はいないよ!」
 硝子好きに悪い奴はいない、これは日々木さんの口癖だ。
「まぁうちにもどういう訳か、硝子好きを色濃く受け継いだ奴が居るんだがね。確かに悪い奴じゃないんだが、最近どうも反抗期なのか、『父さんの後のお風呂は嫌!』とか言いやがるんだよ、まったく…」
 日々木さんは遠くの空を見上げながらしみじみと呟いた。
「ふふ、娘さんも年頃ですからネ。確か今年から高校1年生でしたね」
 日々木さんには一人娘がいて、その娘さんも硝子細工が大好きで、良く日々木さんに連れられて工藝館にも来てくれていた。
 夕焼け堂がオープンした頃は、ちょうど受験生だったということもあり、あまり見かけることはなかった。無事に希望の高校には入学できたとは日々木さんから聞いていたので、知ってはいたのだが……。
「おう、今年の春からは私立三葉高等学校の一年生さ。何でもブラスバンド部?とかに入部したみたいで、毎日忙しそうにラッパ吹いてるよ」
 そう言って両手で楽器を吹いている仕草を真似して見せる。
「たぶんトランペットですね。娘さんもお元気そうで何よりです」
「元気だけが取り柄みたいなもんだからな。またこの店にも来ると思うからよろしくな」
 わはは、と笑いながら手を振り、日々木さんは帰って行った。
「相変わらず嵐のような人ですね」
 私は大和さんと顔を見合わせ笑った。

つづく

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