北へ。20th anniversary 後援サイト
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北へ。アンソロジー
<退屈と憂鬱の向こう側>
「いらっしゃいませ~」
今日も運河工藝館にはたくさんのお客さんがやって来る。
「ありがとうございました」
今日何人目のお客さんを見送っただろうか? いつの間にか店の外はすでに暗く、ガス灯に火が灯っていた。
今日最後のお客さんを見送り、閉店作業を始める。店から一歩外に出ると、吐息が白く色付いた。
秋が終わり、季節は冬になろうとしている。北海道はもう冬だと言ってもいいかもしれない。
「ターニャ、ちょっといかな?」
店内から店長がわたしを呼んでいる。
「ハイ、店長。どうされましたカ?」
わたしは急ぎ足で店長の下に向かった。
「今日も一日お疲れ様。ここ最近忙しい日が続いたが、よく頑張ってくれているね」
店長は優しく微笑みながら言った。
「いえ、わたしはガラスが、運河工藝館がスキです。ですから仕事はとても楽しいデス」
正直、こう言えるようになるにはかなりの時間がかかった。ガラス細工は大好きだったけれど、父の遺した色、ツヴェトザカータ、夕焼けの赤の生成に苦労したり、その赤で作った「赤いスズラン」が認めてもらえなかったりと、最初のうちは大変なことの方が多かった……。
もちろん、今ではどれもわたしにとっては大切な思い出になっている。
大切だと思えるようになったのは「アナタ」と出会えたおかげ……。
「さっそく本題なんだけど、明日11月27日、土曜日はターニャの誕生日だろ? 誕生日プレゼントというわけではないけど、この土日はお店を休んでゆっくりしておいで。もちろん有給休暇にしておくからさ」
自分でも自分の誕生日のことなんてすっかり忘れていました。
「でも店長、それでは皆さんに迷惑をかけてしまいますヨ……」
「大丈夫だよ、それにこれは私だけではなく、スタッフ皆からの提案だからね。その代わり、来月からはクリスマスシーズンだからしっかり頑張ってもらうからね!」
店長はそう言って、はははと笑いながら奥の方へ行ってしまった。皆さんがわたしの誕生日を知ってくれているというだけでもわたしはとても幸せ者ですね。
わたしは店長の背中に向かって一礼し、今日の仕事を終え、家路に就いた。
※
――ピチャン。
天井から冷えた水蒸気が雫になって湯舟に落ちる。
「明日から二日間仕事がお休みになってしまいましタ……」
口元まで湯舟に浸かり、冷えた身体を温めながら独り言を呟く。休みを頂いたものの、どうやって過ごしたらいいのかが全く分からない……。
普段は休みだからといっても部屋の片付けをしたり、足りなくなった日用品の買い足しに出掛けたりするだけで、特に何をするでもなく一日を過ごしている。だけど、今回は誕生日ということもそうだが、せっかく工藝館の皆さんの好意で頂いた休みなので、何か特別なことをしないと申し訳ないという気持ちがあった。
「何か特別なこと……」
お風呂から上がり、ドライヤーで髪を乾かしながら考えてみる。けれど普段からこれといって何もしていないわたしには、何か『特別なことをする』ということはとても難しいことなのだ。
わたしにとって特別なことって何だろう……。
特別……。
特別な人なら……いる……。
去年の夏、銭函駅で東京に帰ってしまう愛しい人を見送ったことを思い出す。
До свидания(ダスヴィダーニャ)、さようならと彼を見送ったあの夏はわたしにとっては特別な夏だった。
去年の夏、運河工藝館でいつものように働いていたわたしは、仕事場と寮を往復するだけの毎日を過ごしていた。時々夕焼けを見るために旭展望台に足を運ぶこともあったが、その当時のわたしはツヴェトザカータを再現できずに焦っており、心に余裕がなかったためか、純粋に夕焼けの美しさを感じることは出来ていなかったかもしれない。
退屈と憂鬱……。そんな毎日を過ごしていた。
そんな夏のある日、いつものように仕事をしていると、店内ではしゃいでいたお客さんがわたしの作った花瓶を不注意で棚から落としていまい、どうすることも出来ず目を覆ってしまうという出来事が起こった。わたしは目を覆い、花瓶が割れてしまう瞬間を見たくないあまりに目を背けてしまった。けれど、しばらくしても花瓶の割れる音は聞こえてこなかった……。地面に落ちて割れてしまう寸前にいち早く花瓶に手を伸ばし、受け止めてくれた方がいたのです。その方こそがアナタでした。
それがアナタとわたしのファーストコンタクトでしたね。
それ以来アナタは運河工藝館に良く足を運んでくれ、わたしが長年追い求めていた父の遺した色、ツヴェトザカータを生成するためのきっかけまで与えてくれた……。わたしの真っ白だった日々がどんどん色付いてゆく……アナタはわたしに日常の素晴らしさをたくさん教えてくれました。
あの日の駅でのさようならはアナタとの別れではなく、今までの内気で弱虫だったわたしとの別れ……。今ならはっきりそう思うことができます。
アナタ笑顔がわたしを変えた。退屈や憂鬱に気付かない振りをして過ごしてきたわたしに何気ない日常の大切さ、素晴らしさを教えてくれた。今ならきっとわたしもアナタと同じ笑顔になれる……。
机の引き出しに閉まってあった、アナタから届いた去年のクリスマスカードを手に取って眺める。アナタの書いた文字の一字一句がわたしの胸に響き渡る。目を閉じるとアナタの声が聞こえてきそうな気がする……。
「よ、よし! 頑張れ、わたし……」
わざと声に出し、自分に言い聞かせると、わたしは携帯電話を手に取り、リダイヤルボタンを押した。そこには先月アナタにかけた発信履歴が表示された。
わたしは意を決し、発信ボタンを押した。携帯のスピーカーからは呼び出し音が聞こえる……。
「あ、もしもし……。こんばんは、ターニャです……」
何度かけても緊張してしまう……。
「明日は土曜日ですので、高校はお休みですよネ? あの……突然なのですが、明日そちらにお邪魔しても……よろしいでしょうカ?」
その数秒後、携帯電話越しに彼の驚いた声が聞こえてきた。急にそちらに行くなんて言ったら驚いて当然ですよね……。
しばらくすると、いつも通りの優しい口調でアナタの声が聞こえてくる。時間にすればたった数分の出来事……。それなのにアナタのことを考えて、アナタと話すだけでこんなにも満たされた気持ちになれる。わたしはアナタのことが……スキなのだと心から思える。
電話を切るとわたしは明日に備えて、急いで荷作りを済ませた。
逸る気持ちを押さえ、布団に入るが中々寝付けない……。小さい頃両親と一緒にピクニックに出掛けた前日の夜もこんな感じだったなと思い出して笑みがこぼれた。
明日わたしは旅立つ。退屈と憂鬱の向こう側、大好きなヒト住む街……東京へ。
あとがきという名のいいわけ
皆様こんばんは、sayです。今年も早いもので、あっという間にターニャの誕生日がやってきましたね。ツイッター界隈では今頃はターニャお祝いコメントやお祝いイラストで賑わっていることでしょうね。自分もその賑わいに参加ということで、短いですがssを書かせていただきました。
今回は「夕焼け堂のターニャさん」ではなく、北へ。WIのターニャを書いてみました。設定としては、WIのターニャシナリオから1年程度未来のお話としています。ですので、18歳の誕生日を迎える前日ということになります。WI主人公は高校3年生ってことになりますね。この主人公が、当HP内の「夕焼け堂のターニャさん」に登場する神楽坂大和だとすると、彼はこの後札幌の大学に入学し、ターニャと結婚し、共に夕焼け堂を作るという未来に向かっていくことになるのでしょうね。
ターニャファンの方は皆さんそうだと思うのですが、ターニャは同年代の子が中学、高校と楽しい青春時代を送っている中、親元を離れて、独りで小樽という誰も知り合いのいないところで頑張ってきたため、他のWIヒロイン以上に幸せになってほしいと願っていることと思います。自分もそんな一人です。
これからの未来がターニャにとって素晴らしいものになるように、今年の誕生日も素晴らしい日になることを祈っております。このssのターニャもきっとこの後素敵な誕生日を過ごすことでしょう……。
って、実はターニャはまだ飛行機も宿泊先もまだ確保していないんですよね(笑)
きっと無事にチケットを確保して、主人公の両親が快く家に泊めてくれるはずです!
そんでもって夜中に主人公の部屋を「起きていますカ?」ってノックして「なんだか眠れなくて……」からの、「隣、いいですカ?」って照れながら主人公の布団に潜り込むという幸せかつ、王道の展開が待っているに違いありません!(笑)
ここまで読んでくださりありがとうございました。皆様あってのssです。それではまた次回作でお会いしましょう。
2021.11月 say