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北へ。アンソロジー

​<悲しい*(アスタリスク)

補足:今回のssは「悲しい*(アスタリスク)」の歌詞を元に作成していますが、歌詞に関しては著作権の問題等が生じる可能性がありますので掲載していません。歌詞が気になる方はご自身での検索及び、CDの歌詞カードのご確認をお願いします。
また、直接歌詞は使用していませんが、万が一著作権等で不適切な文章であると判断された場合は速やかに対応し、削除させていただきます。

悲しい*(アスタリスク)

 もっとあなたのことを知りたい……。
 もっと私のことを知って欲しい。
 そう思うのなら……私は自分の居場所を選べばいい……。
 あなたを……愛しています。だから……私を愛してもらえますか?
 
 ダイヤモンドダストに愛を誓ったあの日から3ヶ月が過ぎました。季節は春……。
 自分の居場所を選べばいい……。その言葉通り、私は故郷のフィンランドには戻らず、今も旭川の叔母の家にホームステイさせてもらっています。
 今日は日曜日。5月に入り、気候はかなり暖かくなってきていて、縁側で大好きな日向ぼっこをするには良い季節になりました。
 縁側で暖かい太陽の光を浴びながら食べる梅屋のシュークリームは格別です……。
 そう、格別のはず……なのに最近は以前のように美味しく感じられないような気がします。それはきっと……あなたが傍にいないから……。あなたという存在を知ってしまってから。あなたと出会い、私の世界は大きく変わりました。心の傷が癒えず、遠のいていた大好きなフィギュアスケートをもう一度頑張ろうと、銀盤の上に戻れたのは間違いなくあなたのおかげなのです。
 そして何より、誰かを好きになることが、誰かのために何かをしたいと思えることがこんなにも素晴らしいことなのだと気付かせてくれたのがあなたでした。
 私の大好きなヒト……。彼は現在東京に住んでいるので、いわゆる遠距離恋愛というものを私は現在進行形でしているわけです。
 彼は大学生なのですが、今年は就職活動が忙しいので、なかなか会うことも出来ません。もちろん、電話や、メールなどでのやり取りはしていますが、なかなか会えないとなると、心のモヤモヤがどんどんと大きくなってしまいます。
「ハァ、私の心は雨模様です……」
 心とは裏腹に五月晴れの青空を見上げながら独り言がこぼれた。
 あなたに会いたい……。
 
 その夜はなかなか寝付けず、いつの間にか時計の針は午前6時を差していた。昨日から心の靄(もや)が晴れずにすっきりしない……。
「月曜日からこんな憂鬱な気分ではダメですね……。空気を入れ替えましょう」
 そう言って勢い良くカーテンを開けた。
 そこには昨日見た青空はなく、空は一面曇然(どんより)とした雲で覆われ、粛々と雨が降っていた……。
 これではさらに気持ちが沈んでしまいます……。
 気持ちを切り替えるために顔を洗う。鏡を見ると、少し赤い目をした私がこちらを見ていた。
「これではウサギさんです……」
 私はさっと朝食を済ませると、トレーニングウェアに着替え、荷物をまとめて家を出た。行き先は旭川アリーナ。近々行われるフィギュアスケートの地区大会に向けてのトレーニングのためです。これから練習だというのに、アリーナに向かう今日の私の足は鉛のように重く感じます……。
「今日の私は憂鬱なウサギさんです……」

 最近は厳しいトレーニングの毎日で身体的にも精神的にもヘトヘトで心に余裕がないような気がします。肉体的な疲れは、ゆっくりお風呂に浸かり、身体をほぐして、しっかり睡眠を取れば回復します。
 ですが、精神的な疲労はそう簡単には解消することができず、ストレスとなって私に纏わり付いてきます……。
「あなた(ストレス)とは仲良くやっていけそうにはないですね。犬猿の仲というやつです」
 旭川アリーナからの帰り道、つい独り言が漏れる。まだ火曜日だというのに先が思いやられます。何か気分転換できるものがあればいいのですが……。
 そんなことを考えながら歩いていると、一軒の花屋が目に入った。
 普段何気なく歩いているだけの通りも良く周りを見回してみると、今まで気付かなかった発見があるものです。
「綺麗なものは目の保養になりますね」
 花屋には様々な花が所狭しと並んでいましたが、そんな中、私の瞳に赤いチューリップが飛び込んできました。
 チューリップは北海道に春を知らせてくれる花のひとつで、こちらでは内地より遅い5月頃が見頃になります。
 私は赤いチューリップを購入し、先程より少し晴れやかな気分で家路に着きました。
 家に着く頃には日が傾きかけ、綺麗な夕焼けが街全体を包み込んでいました。
「さっそくチューリップを花瓶に生けないとですね」
 そう思い、私は自室の窓際に置いてあるお気に入りの花瓶を取ろうとしましたが、そこで立ち止まってしまいました。
「そうでした……」
 その花瓶には先週まで咲いていて枯れた花がうなだれています……。
 トレーニングが忙しいことを言い訳に、その花の存在を忘れていたことに今になってようやく気付きました。
 心の中でごめんなさいと繰り返しながら、枯れてしまった花の代わりに、先程買ってきたばかりの真っ赤なチューリップを花瓶に生ける。
「なんだか余計に寂しく感じてしまいます……。綺麗な赤いチューリップなのに私の心はブルーです……」
 

 次の日も厳しいトレーニングは続きます。地区大会はもちろんのこと、オリンピックで上位入賞を目指すためには、現在練習中のこのジャンプを習得する必要があります。
 クワドラプルルッツ……。この四回転ジャンプを習得するために今は来る日も来る日もトレーニングの毎日です。
 ルッツは回転方向とは逆の方向に重心を乗せたまま踏み切るため、回転する力が入り辛く、かなりの筋力を必要とします。そのため、女性でクワドラプルルッツを飛ぶためには、筋力はもちろんですが、それを補うための助走が必要になります。そのため、かなり難易度の高いジャンプになります。
 実際のところ今までの練習の中でクワドラプルルッツが成功した例(ためし)は一度もありません……。何度もイメージトレーニングも実施してはいますが、一度も成功したことのないジャンプですので、イメージの中ですら上手く飛べない有様です……。私にこのジャンプを飛べる望みはあるのでしょうか……。
「ハァ、誰かが言っていました。望みが希(うす)いと書くと「希望」という文字になると……」
 やはり私には重い荷物(荷が重いの意)なのでしょうか……。そう考えてしまうと私の身体は重くなり、錆付いたブリキの兵隊のおもちゃようにぎこちなくなる……。
「こんなときにあなたが傍にいてくれたら……」
 クワドラプルルッツが飛べないのは誰でもない、私の、自分自身の未熟さのためです。あなたのせいではありません。それでも……それでもあなたが傍にいてくれれば私はどんなジャンプだって飛べる……そう思えるのに……。
「会いたいです……」
 閉じた瞳から一筋の涙が零れ落ちた。

 木曜日……。
 今日はトレーニングがお休みなので、いつもより遅く目が覚めました。
 顔を洗い、着替えを済ませると、手短に朝食を済ませる。
「さて、どうしましょうか……」
 私以外誰もいない部屋を見回しながら独り言を呟く。決して広い部屋ではありませんが、何だか今日はいつもの部屋がとても広く感じます。
「孤独です……」
 いつまでもこんな気持ちではいけない、それは分かっているつもりなのですが……。
「日本では病は気からと言うようです。腹が減っては戦は出来ません。せっかくのお休みなので、久しぶりにフィンランドの料理を作りましょう!」
 買い物に出掛ける私の足取りは昨日に比べると少し軽くなったように思えた。
 必要な食材を買ってきた私は早速キッチンに向かい、調理を開始する。小さい頃に母に教わった故郷の手料理……。あの頃を思い出しながら料理に没頭する……。
「後はオーブンで焼けば完成です」
 程なくすると、オーブンからは懐かしい香りが立ち込めてきました。焼き加減もバッチリです。
 今日のメニューはカレリアパイと、サーモンスープです。
 カレリアパイはフィンランドのカレリア地方の郷土料理で、ミルク粥をライ麦で出来た生地に乗せて焼き上げたもので、ほんのり甘くて素朴で優しい家庭の味です。
 サーモンスープはクリーム風味のスープにジャガイモや玉ねぎを入れ、サーモンと一緒に煮込んだ料理です。アクセントにハーブを入れると香りが引き立ちます。
「うん、我ながら上手に出来ました」
 叔母さんを呼びに行くためにテーブルの横を通りかかった際に、ふと書き置きが置いてあることに気付いた。
『スオミへ。今日は親戚の家に出掛けるので帰りは夜になります』
 せっかく上手に出来たのに、食べるのは一人……。
 私の心に靄(もや)がかかりました……。

 何だか何をやっても上手くいかない毎日。そんなことを考える空しい金曜日……。
 こんなときに限って、あなたも就職活動が忙しいのか、なかなか連絡が取れない。だけどあなたにとっても大切な時期です。私が重荷になるわけにはいきません。
 そう思えば思うほど、あなたの存在が遠く感じてしまう。今すぐあなたに会えるのなら私は大好きな梅屋のシュークリームを金輪際食べれなくたって……い、いえ、三ヶ月食べれなくても我慢するのに……。
 何もしないでいると良くないことばかりを考えてしまう。こんなときは部屋の掃除でもして気分を紛らわせましょう。
 そう思い、掃除をすること1時間……。棚の整理をしていると1枚のレコード盤を発見した。
「これは父のレコード……」
 フィンランドから日本にやって来た際に持ってきたレコード……。確か奥の物置にレコードの蓄音機があったはず……。
 私は急いで物置まで向かうと、ゆっくりドアを開けた。
 ギィィ~という音と共にゆっくりとドアが開いてゆく。幸い、蓄音機は探さなくても、まるで私を待っていたかのように目の前に鎮座していた。
 埃を払い、レコード盤をセットし、盤の上に蓄音機の針を落とす。
 プツプツという蓄音機独特の音が発せられた後、聞き覚えの音楽が流れてきた。蓄音機の状態が万全ではなく、決して澄んだ音ではありませんでしたが、とても懐かしくて暖かい歌だった。
 目を閉じるとフィンランドでの父との思い出が甦ってくるような気さえした。
 しかし程なくすると、せっかくの音楽が針飛びしていて、懐かしい歌は不協和音に変わってしまった。
 私は蓄音機を物置の元の場所に戻し、ベッドに突っ伏した……。

 どれくらいそうしていただろうか? いつの間にか眠ってしまっていたようで、時計に目をやると時刻は深夜1時を回っていた。
「もう土曜日になってしまっていますね……」
 カチカチと時を刻む秒針の音が静かな部屋に響き渡っている。
 ベッドに腰を降ろし、お気に入りのペンギンのぬいぐるみをギュっと抱きしめる。窓から吹き込んでくる風は少し肌寒かった。
「あなたはとても暖かいですね」
 ペンギンのぬいぐるみを抱きかかえる腕に力が籠もる……。
「東京にいるあなたをこうして抱きしめられたらいいのに……今度会えるのはいつになるのでしょうか?」
 寒い寒い冬が過ぎ、春の雪解けを待ちわびていた花々が芽を出すように、私はあなたという太陽をずっと待ちわびているのです。だけど私は気付いてしまいました。未だ来ない日と書くと、「未来」という文字になることに……。
「私の心の雪解けはいつになるのでしょうか……」

 悲しい日曜日は、どうしてもあなたの声が聞きたくて、迷惑かもしれないと分かってはいましたが、意を決して電話をかけてみました。
 ワンコール、ツーコールと電話の呼び出し音が鳴る度に、鼓動が早くなり、息苦しさすら感じる。まるでショートプログラムを滑り終えた後のようです。
 不意に呼び出し音が途切れた。つまりは彼が電話に気付き、携帯電話の通話ボタンを押したということです。
「もしもし、スオミちゃん?」
 機械越しにあなたの声が聞こえる……。
「は、はい、スオミです……」
 自分から掛けておきながら一瞬言葉が出てこず慌てて答えた。
「ごめんなさい、どうしてもあなたの声が聞きたくなって……。就職活動はいかがですか?」
「うん、実はなかなか上手くいかなくてね。今日もこれから面接なんだ」
「お忙しいのですね……」
 あんなに聞きたかった声なのに、言葉を失ってしまう……。
「スオミちゃん? どうしたの何かあった?」
 心配そうなあなたの声が携帯電話越しに聞こえてくる。
「……わ、私だって毎日毎日スケートのトレーニングで大変です。ジャンプも上手くいきません! 私だって……」
 気が付くと私は携帯電話の通話終了ボタンを押していました。
 違う、そんなことを言いたかった訳じゃない……。別にあなたが悪いわけでもない。そんなことは良く分かっています。
 ここ最近何をやっても上手くいかなかったことを感情に任せてあなたにぶつけてしまった……。会いたい……ただそれを伝えたかっただけなのに……。
 私は悲しみの連鎖を断ち切れずに、悲しみの渦に飲み込まれてしまっているようです。
 この悲しみは一体いつになったら終わるのでしょうか……。
 悲しい……? 誰が? 私が? どうして悲しいのか? 天気が雨だから? ジャンプが失敗したから? 食事を一人で食べるから?
 それはすべて私がそう思ったから……。悲しいと決め付けているからではないのか……。
 止まない雨はありません。クワドラプルルッツだって諦めずに練習すれば飛べるようになるはず。食事だっていつも叔母さんがいないわけではありません。
 要は私の気持ち次第なのです。出来ないことが悲しいのではありません。諦めてしまうことが悲しいのです。望みが希くたって諦めなければいつかは出来る……。未だ来ない未来であっても歩み続ければ辿り着ける。時間は前に進んでいるのですから……。
 一週間経ってやっとそのことに気付けました。先程のことをあなたに謝らなければ……。
 そう思った瞬間、私の携帯電話が鳴った。画面に表示されている名前はもちろんあなたです。
「も、もしもし、スオミちゃん! さっきはごめん。俺忙しいことをいいことに、自分のことしか考えていなかったよ。スオミちゃんの気持ちをちゃんと考えられていなかった。本当にごめん」
 電話越しにあなたの一生懸命さが伝わってきます。
「私の方こそごめんなさい。私も自分のことしか考えられていませんでした。でももう大丈夫です。私、強くなります。自分が歩き続ける限り、私の道はきっとあなたに続いています。だからもう大丈夫です。私とあなたは一蓮托生です!」
「す、スオミちゃん? それ多分一心同体だよね……はは……」
「やはり日本語は難しいですね」
 電話越しに二人して笑った。そういえばこんなに笑ったのは久しぶりかもしれませんね。
「あ、そうだ! スオミちゃん、今年の夏はそっちに行けそうだよ!」
 電話の向こうから嬉しそうなあなたの声が聞こえる……。笑う角には福来るですね!
 私は部屋の窓から空を見上げた。雲ひとつない、何処までも澄み渡った青い空。今は遠く離れているかもしれませんが、この空はあなたの下に続いています。私の星はきっとあなたのすぐ上で輝いているはずです……。

Fin


あとがき(というなのいいわけ)

 皆様、こんばんは。sayです。今回は北へ。ヒロインのキャラクターソングを元に、お話を書こう第1弾ということで(え? 2弾もあるのか?w)北へ。DDのスオミのキャラクターソングである「悲しい*(アスタリスク)」の歌詞からssを書いてみました。
 スオミのキャラクターソングってご存知の通り、歌詞がかなり悲しいんですよね……。ssを書いていても、「こんなに悲しくていいのか?」と思えるぐらい悲しいんですよ。
 2003年の北へ。DD声優イベントでもスオミの声を担当していた天瀬まゆさんが、「この曲を初めて聞いた時、みんなが思わずため息をついてしまったほど暗い曲。“憂鬱な月曜日”という歌詞から始まるこの曲のキャッチコピーをつけるなら“ドナドナ1週間”です(笑)」と答えているほどです(笑)
 ですが、やはりどうしても最後には救われてほしいというか、ハッピーエンドで終わって欲しいと思い、今回このssに挑戦させていただきました。
 一応設定としては、北へ。DD冬編のラストシーンのダイヤモンドダストを一緒に見た後から、北へ。DD+の夏までの間を埋めるような感じで書かせてもらっています。
 お互いの存在がとても大切なものであると気付けた半面、会えない日々が続き、「会いたい」という気持ちだけがどんどん大きくなって空回りしてしまう……。そんな日常を歌詞を元に想像しました。
 そして、スオミといえば、少しおかしな日本語ということで、ところどころに間違った? 言い回しも使わせていただきました(笑)
「スオミちゃんらしいや」と思っていただければ幸いです。自分で書いていて、梅屋のシュークリームを諦め切れないスオミがツボだったりもします(笑)
 何だかんだと書いてしまいましたが、すでに北へ。の1作目が発売されてから20年以上が過ぎました。それでも今尚、こうして北へ。作品に触れていられるのは幸せなことだと改めて感じます。今でも新作を待ち焦がれています。
 そして、それ以上に北へ。が大好きな皆様と少しでも交流できるのが何より嬉しいことだと思っています。ですので、これからも出来る限り何かを作り(自分の場合は主に小説もどきですが)、北へ。を応援していこうと考えています。もしよろしければご感想やダメ出しなどいただければ嬉しいです。
 それではまた、次回のssでお会いしましょう!


2020.8月 say

                        

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