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夕焼け堂のターニャさん

​第六話<cafe夕焼け堂>

<cafe夕焼け堂>
 世間が夏休みシーズンに突入し、約半月が過ぎ、小樽の街並みは行き交う観光客でさらに賑わいを増している。
「いらっしゃいませ~」
 午前9時。とんぼちゃんの良く通る元気な声が夕焼け堂に響き渡る。
 現在は夏休みのため、とんぼちゃんは部活が休みの際は朝からバイトに入ってくれている。仕事の飲み込みも速く、物怖じしない性格のため、接客もしっかり出来ている。おかげで私も工房にいる時間が増え、製作に使える時間が多くなったため、一ノ瀬君と二人体制で製品を作ることが出来るので、作業効率もグッと上がりました。
「店長、ちょっといいですか?」
 不意に一ノ瀬君が口を開いた。
「ハイ、どうしましたカ?」
「以前から取り掛かっている風鈴に使用する硝子の短冊なのですが、いくつか試作品を作ってみたので確認をお願いしてもよろしいでしょうか?」
 硝子の短冊……。以前一ノ瀬君が考案したもので、通常は風鈴の下の風を受ける短冊は紙やプラスチックで出来たものが多いのですが、それを硝子で作成してはどうかというものでした。
 短冊を硝子で作成するため、強風に煽られたり、ぶつけてしまったりすると割れてしまうという欠点はありますが、硝子で作るため、劣化しにくく、取り外して別の短冊に交換することで様々なバリエーションや季節感を楽しめ、インテリアとしても使用できる風鈴の新たな可能性を感じます。
「もちろんです。喜んで確認させていただきますネ」
 一ノ瀬君は私の目の前に三枚の硝子の短冊を置いた。一つ目は金魚と花火がデザインされている夏らしい短冊でまさに今の時期にぴったりな作品です。
 二つ目の短冊は、夕焼け空と赤とんぼをイメージした作品、三つ目はタンチョウが羽ばたいている様子をデザインした冬らしい短冊になっています。
 また、この短冊を取り付ける風鈴は、どのような短冊を取り付けても違和感がないように透明でシンプルなデザインになっています。
「良いと思います。ひとつひとつに手作りの温かさがありますネ。そして何より色々なデザインを楽しむという発想が素敵だと思います。私も手伝いますので商品化に向けて頑張りましょうネ」
 私は三つの短冊を大切なものを扱うようにそっと一ノ瀬君に手渡した。
「ありがとうございます。ではさっそく色々なデザインを試してみます」
 そう言うと一ノ瀬君は工房の方に向かって歩き出した。
「くやしいけど一ノ瀬先輩、やっぱ凄いんだな……」
 とんぼちゃんが一ノ瀬君の背中を目で追いながら呟いた。
「相手の凄さを妬むんじゃなく認められるってのも凄いことだよ」
 不意に後ろから声がした。
「あ、ハヤカ。おはようございまス」
 そこには腰まで届きそうな黒い髪をなびかせた葉野香が立っていた。
「おはようございます、葉野香さん!」
 とんぼちゃんが元気良く挨拶する。何となく体育会系な感じがします。確かブラスバンド部でしたよネ?
「ああ、おはよう。今日も元気だね」
「ハイ! 元気だけが取り柄ですから!」
 とんぼちゃんはトレードマークのポニーテールを揺らしながら力強く答えた。
「その元気が大事なんだよ。何をするにしたって元気がなかったら無理だからね。ほら、“元気があれば何でもできる”って言うだろ? 一番大事なことだよ」
 ハヤカはそう言うと、とんぼちゃんの肩を優しくポンと叩いた。
「それで、どうしてハヤカはここに? 何かありましたカ?」
「ああ、ちょっと確認したいことがあってさ。今いいかな?」
 ハヤカはそう言うと、ポケットから確認事項をまとめたメモを取り出した。
「それじゃ、奥へ行きましょうカ? 大和さん、少しだけ抜けますのでお店をお願いしますね」
「了解。こっちは任せて大丈夫だから気にせず行っておいで」
「すみません、それではお言葉に甘えさせてもらいますね」
 いくつかの確認事項の最終確認を済ませ、店内へ戻る。時間にして5、6分だったでしょうか。
「それじゃ、ターニャまた後で」
 ハヤカはそう言って店を後にしようとした。
「あ、ハヤカ、先程の件、よろしくお願いしますネ」
 ハヤカの後ろ姿に向かって、私は言葉を投げかけた。
「ああ、任せとけって。ちゃんと確保しておくよ」
 ハヤカは背を向けたまま右手を振って、髪をなびかせながら自分の持ち場へと戻って行った。
「やっぱり葉野香さん、かっこいいですね。女のあたしでも惚れちゃいそうです」
 とんぼちゃんがハヤカの後ろ姿を見送りながら呟いた。
「そうですネ、でも意外と女の子らしいところもあるのですヨ?」
「そ、それはそれでギャップ萌えですね。さらにポイント高いですよ!」
 ギャップ萌え? ポイント? とんぼちゃんが不思議なことを言い始めました。この辺は瑞穂さんと同じ匂いを感じます。良いのか悪いのかは別として……。
「それはそうと、葉野香さん、何の用だったんですか?」
 とんぼちゃんは先程の私達の話が気になる様子。
「いえ、大したことではありませんヨ? 本日からcafe夕焼け堂がオープンですので、少し打ち合わせをしていただけですよ?」
 本日10時よりcafe夕焼け堂がオープンすることになっている。そのため、現在も奥の方ではハヤカや瑞穂さんが朝早くから準備を進めている。
「あ、やっぱりそうですよね! あたし昨日から待ち遠しくてソワソワしっぱなしなんですよ!」
 嬉しそうにオープンを待ちわびるとんぼちゃんのポニーテールはいつも以上に揺れています。
「ごほん、確かに僕も楽しみではあるけど、まずはこっちの夕焼け堂の仕事をこなさないとね」
 大和さんがこちらに向かって優しく注意を促します。そうですね、私達は私達の業務をまずはこなさなくてはいけません。
「大和さんの言う通りです。こちらもcafeチームに負けないように頑張りましょうネ」
 各自それぞれに自分の持ち場に戻り、業務を再開する。今日も暑くなりそうです。

 時刻は正午を少し回り、お昼時ということもあって、少しお客さんの数も少なくなってきました。
「ありがとうございました」
 とんぼちゃんがお客さんを見送る。そしてその度に外の方をキョロキョロと見回している。
「とんぼちゃん? どうしましたカ?」
 私は見兼ねて声をかけた。
「だって、ほら……その……」
 とんぼちゃんの視線を眼で追う。
「大丈夫ですよ。お店は逃げたりしませんから」
 朝からずっとcafe夕焼け堂が気になる様子。まるで目の前にご飯があるのにお預けをさせられている仔犬のようです。
「じゃあ休憩を兼ねて行ってくるといいよ。今はこっちのお客さんは少ないからターニャと一緒に行っておいで」
 レジの方から大和さんが言った。
「いいのですか? 大和さん」
「構わないよ。それにとんぼちゃんだけじゃなく、ターニャの顔にも行きたいって書いてあるからね」
 はははと大和さんは優しく笑った。どうやら大和さんにはバレバレのようです。
「それではお言葉に甘えて先に休憩に入らせてもらいますネ。では、とんぼちゃん、行きましょうか?」
「ヤッタ、大和さん! ありがとうございます! さ、ターニャさん早く早く!」
 半ば強引にとんぼちゃんに引っ張られながら石畳の小道を奥へと進む。途中、数人の若い女性とすれ違ったが、みんな笑顔だったことから、cafe夕焼け堂に満足してもらえたのだと想像できた。
「さ、着きましたよ! ターニャさん」
 本日オープンということと、お昼時ということもあり、cafe夕焼け堂の中はかなり混雑している。入り口の外には何名か順番待ちをしているお客さんがいるほどです。
「大盛況のようですネ」
 経営者としてはとても喜ばしいことですが、これもハヤカや瑞穂さんが頑張って準備を進めてくれたおかげですね。
「あぁ、こんなにお客さんいたら休憩時間終わっちゃいそうです。どうしましょうターニャさん……」
 とんぼちゃんが心配そうに私を見つめる。確かにこのままだと奥に通される頃には休憩時間が終わってしまいそうです。
「とんぼちゃん、とりあえずこちらへ」
 私はとんぼちゃんを手招きすると、店内に入った。
「え? どういうことですか? ターニャさん?」
「よぅ、いらっしゃい。待ってたよ」
 不思議そうにしているとんぼちゃんの前にハヤカがやって来た。Tシャツにジーンズというラフな格好の上にオレンジ色のエプロンを纏っている。cafe夕焼け堂は出来るだけアットホームな感じで親しみを持ちやすいようにということで、特に制服は着用しないことになっている。強いて言えば、この夕焼けの赤と同じ色のエプロンが制服の代わりといったところでしょうか。
「ハヤカ、こんにちは。忙しそうですね」
「あぁ、おかげ様でね。2人共、あんまり時間ないんだろ? すぐに席に案内するよ」
 そう言うと同時にハヤカは私達を店の奥に案内した。
「ご予約様二名ごあんな~い!」
 ハヤカがそう言うと、奥の方から瑞穂さんがやって来た。
「喜んで~!」
「ば、ばか! ここは居酒屋じゃないんだぞ。もうちょっとましな返事の仕方があるだろ?」
 いつもの漫才…もとい、やりとりがここでも繰り広げられていることにホッとするような、少し不安なような何とも言えない感じですね……。
「あたしは向こうの対応してくるから、こっちは任せたからね。くれぐれも粗相のないように!」
 ハヤカはそう言うと、別のお客さんの注文を聞きに行った。
「心配症だなぁ、葉野香は。それじゃ、席に案内すね、こっちだよ」
 瑞穂さんに案内されカウンター席に腰を掛ける。
「それじゃ、注文決まったらまた呼んでね~」
 瑞穂さんはそう言うと、颯爽とフロアの方に去って行った。
「ターニャさん、どうなってるんですか? 待たずに座れましたよ?」
 とんぼちゃんが驚いた様子で尋ねる。
「実は、今日はオープン初日で混雑するのは予想できたので、前もって席を確保しておいたのです」
「もしかして朝の打ち合わせってこのためだったんですか? そ、それって職権濫用ってやつですよね? ターニャさんもやるときはやるんですね! さすがです!」
 何だか凄い誤解をされてしまいました……。
「そ、それって褒め言葉じゃないですヨ……。それに、これはハヤカが気を利かせて予約席として確保してくれていたのです」
一応予約も承っている(今後の予定では…)とのことなので、不正ではない……はずデス…多分。
「そうでしたか。何にせよ、待ちに待った瞬間が来たのですから、とりあえず注文しましょう!」
「そうですね。何にしましょうカ?」
 メニューを開き、数々の料理の写真に目を通す。
「わぁ、どれもおいしそうですね。迷ってしまいますね~」
「ホントですね。何にしましょうカ……」
 メニューを何度も往復し、数ある料理の中から本日の昼食をどれにするか決める。それだけでもわくわくしてしまう。
「よし、決めた! ターニャさんは決まりました?」
「ハイ、大丈夫です」
 テーブルに備え付けられている呼び出しボタンを押すと、程なくして瑞穂さんがオーダーを取りにやって来た。
「2人共、注文は決まったかな?」
 片手サイズのタブレットのような端末を開きながら瑞穂さんが言った。
「あたしは冷製シーフードパスタをお願いします」
「では私はこのPLTサンドをお願いします」
 瑞穂さんは手際良く端末に注文を入力する。
「ご注文繰り返します。冷製シーフードパスタがひとつ、PLTサンドがひとつ。以上でよろしいでしょうか?」
 私はコクリと頷いた。
「では料理が出来上がるまでもうしばらく待っててね」
 瑞穂さんはそう言うと、再び颯爽とフロアの方に去って行った。
 こんな事を言っては失礼なのですが、瑞穂さんはもっと破天荒な対応や行動を取っているのかと思っていましたが、フロアでの仕事振りを見る限りでは、対応もスムーズですし、何事もそつなくこなしています。本当に不思議な方です……。
 程なくすると、注文した料理が私達の前に運ばれてきた。
「ご注文は以上でよろしいですか?」
 料理をカウンターの上に並べ終わると、瑞穂さんが言った。
「ハイ、ありがとうございまス」
「お客様、よろしければ料理がさらに美味しくなるおまじないがあるのですが、いかがでしょうか?」
 瑞穂さんが何やら不思議なことを言い出した。
「あ、それってメイド喫茶とかで良くあるやつですよね? 是非お願いします!」
 とんぼちゃんには分かるのか、何故かノリノリで瑞穂さんの申し出を受けています。
「さっすがドラゴンフライもとい、とんぼちゃん!」
 瑞穂さんはとても嬉しそうですが、何をするのでしょうカ?
「コホン、ではさっそく……。♪ほんだららったへんだららったどんがらがった ふんふん~♪」
 ………………。
 ………………。
 しばらく沈黙が続いた……。
「あのぅ、そこは『美味しくなあれ、萌え萌えキュン!』的な感じじゃないんですか?」
 どうやらとんぼちゃんも予想していなかった事態に陥ったようですが、私には何が起こったのかサッパリです……。
「チッチッチ、とんぼちゃん、そんなのはもう古いんだよ。今の時代はこれが主流……なん…だ……」
 どうしたのでしょうか? 途中まで話しかけていた瑞穂さんでしたが、急に静かになってしまい、私達の後ろを凝視しています。
「おい、お前は何をしているんだ? うちはそんなメイド喫茶みたいなサービスはやってないだろ! それに何なんだ、あの呪われそうな呪文みたいなのは……」
 私の後ろから葉野香の声が瑞穂さんに突き刺さるかのように飛んできた。
「は、葉野香……これは、そのぅ……そう! オープン記念のサービスだよ、ははは……」
 両手をバタバタさせながら弁解する瑞穂さん……。
「んなわけあるか! ここはいいから、厨房の皿洗い手伝ってこい!」
「ア、    アイマム!!」
 瑞穂さんは敬礼のポーズを取ると同時に厨房の方へと駆け出した。脱兎の如くとはまさにこのようなことを言うのでしょうカ。
「まったく、油断も隙もないよ……」
 呆れたようにハヤカが呟く。
「でもとても賑やかでいいですネ。見ているこちらも元気になる感じですヨ。もしかしたらこのお店の売りになるかもしれませんネ」
「よしてくれよ、あんな調子じゃあたしの気苦労が絶えないじゃないか。って、手を止めさせて悪かったな。休憩時間も限られているだろし、これ以上邪魔しちゃ悪いな。じゃ、また後でな」
 ハヤカは苦笑いを浮かべながらそう言うとフロアの方へ戻って行った。
「何だかんだ言っても葉野香さん、楽しそうでしたね」
 とんぼちゃんがハヤカの背中を見つめながら呟いた。
「ええ、そうですネ」
 口ではああ言ってはいるものの、ハヤカの去って行く後ろ姿は軽やかで、活き活きとしているように見えた。
「さて、それじゃ頂きましょうカ」
「はい、あたしお腹ペコペコです」
 カウンターに並べられた料理に手を付ける。私が注文したのはPLTサンド。BLTサンドと言うのは良く見かけるかもしれませんが、このPLTサンドというのは、ベーコンの代わりにパストラミビーフを使用したサンドイッチで、レタス、トマトの頭文字と合わせてPLTサンドとなっています。
 食塩水に漬けた赤身肉を乾燥、燻煙させ、粗めに挽いた黒胡椒やコリアンダー、パプリカなどの香辛料で味付けされており、食欲をそそります。瑞々しいレタスとトマトに少しスパイシーなパストラミが良く合います。
 とんぼちゃんの注文した冷静シーフードパスタは海老やホタテなどのシーフードとトマトの酸味がマッチしてとても美味しそうです。夏の暑い時期にはぴったりのメニューかもしれませんね。
 私達は談笑しながら料理を堪能しました。
「ふぅ、美味しかった~。これで午後からの仕事も頑張れますね!」
「ハイ、とても美味しかったですね」
 しばらく食後の余韻に浸っていると、ハヤカがこちらにやって来た。そしてカウンターの上にアイスコーヒーを2つ並べた。
「ハヤカ? 私達は注文していないデスよ?」
 事情が飲み込めず、きょとんとしながらハヤカを見つめる。
「あぁ、あちらのお客様(店員)からだとさ」
 そう言ってハヤカはクイっと右手でフロアの方を指した。
 その指の向きを目で追うと、そこには右手の親指をグッと突き出し、嬉しそうにニヤニヤした瑞穂さんが立っていた。
「一度やってみたかったんだとさ……。そんなわけだから遠慮なく飲んでくれ。瑞穂の奢りだ」
 私はフロアにいる瑞穂さんにペコリと頭を下げた。瑞穂さんは手を振りながら笑顔で厨房の方へスキップで去って行った。本当に不思議な方です。
 こうして私達の初のcafe夕焼け堂体験は幕を閉じたのでした。

つづく

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